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04月17日
希望の花

ずっと思っていたこと。

東日本大震災後、ブログやラジオなどでこの出来事にふれる時、
何度か出演した被災地支援ライブでメッセージを伝える時、
TVやニュースで見て感じたことを受けての話ばかりで、
やっぱりどこか漠然としていて、
実際に自分の目で現地を見ていないから、
なんとも言い難いものがあると感じてた。

私は正直、ものすごく稼いでいるわけでもないので、自分の生活もあるし、
どーーーんと多額の義援金をおくることもできない。
車もないし、運転もできないし、大量の食事を作ることもできないので、
あったかい炊き出しをして、喜ばせることもできない。
避難所へ行っても、私を見て「歌手の人が来た!」ってわかる人って、
たぶん残念ながらいないから、
歌で何か伝えたい!って思っても、それを望む人はいない。
だから、歌を届けに来ました!と言うことでもきない。

今、被災地へ行くことは誰でも出来る。見に行くことなら。
でも、それじゃダメなんだ。
私には時間がある。体がある。
特別な力はなくても汗をかくことで何か出来るのではないか。

現地へ行って、現地のニーズで何か手伝えることはないかとずっと考えていた。
そして、自分の目で見て、感じたら、私が歌うとき、メディアに出るとき、
もっとこの震災のことを伝えられるかもしれないと思った。

そんな中で見つけた東京・中野区で募集していた災害ボランティア。
中野区ボランティアセンターのメンバーとして、被災地で活動するというもの。
私の事務所は中野区にあるため、応募でき、参加することになった。
もちろん歌手ではなく、一般人としてなので、歌いに行くわけではない。

13日から東日本大震災で地震と津波で大きな被害を受けた『宮城県亘理町』へ向かった。

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亘理町の災害ボランティアセンター。

今、被災地域では災害ボランティアセンターが立ち上がっています。
多くの災害ボランティアセンターでは、市内・近隣の方のみの募集ですが、
市外・県外からのボランティアを受入れているセンターもあります。
亘理町ボランティアセンターもそのひとつ。

亘理町は、地震の影響で、家の瓦屋根がはがれている家を何軒か見たけど、
その他は、普通に生活できるような環境。
本当に被害があったのだろうか?という印象だった。

でもそれは大きな間違い。今回は地震ではなく津波が大きな被害を起こしたのだ。

海に近い場所ほど、家の基礎しか残っていなかったり、
そこらじゅうに港から流されてきた漁船が転がっている。
このあたりは、被害がなかったのかな?と思うような場所も、
塀をよく見ると、私の肩くらいのところにくっきりと水の跡が残っていて、
泥まみれになった畳や家具が、家の外に山積みにされている。
震災から1ヶ月以上経つのに、いまだ手つかずのままの場所が多いのだそう。

実際に自分の目で見ても、まだこれが現実だってことを理解できなかった。
この地の元の姿を知らない私でさえ、残酷な風景に立ち尽くしてしまうのに、
自分が暮らしていた町がまったく違う風景になってしまった人たちの気持ちは、
どんなだろう。想像もできなかった。

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私にとって、初めての災害ボランティア。
体力にはそんなに自信がない自分に、
本当にお手伝いできることはあるのか?
役に立てるのか?と少し不安だったけど、
何でもいいから、できることをしたいという思いでいっぱいだった。
ボランティアセンターの中は、たぶん、そんな人であふれている。

ここでは朝、8時30分〜受付を開始し、
お手伝いに来てほしいと要望があったお宅の作業内容と必要人数が発表され、
自分ができると思ったら手を挙げ、参加し、現地へ向かい作業をするという流れ。

作業一日目にお手伝いさせてもらったお宅は、1階天井付近まで水が来ていた。
まだ障子や柱にくっきり跡が残る。
最初に津波が来た時は、床下くらいをちょろちょろだったそうだけど、
第3波の時は、遠く向こうの防風林に波が見えて、急いで逃げたそう。
津波が実際に来たのは、地震から2時間も4時間も後だったそうで、
一度は避難したけど、様子を見に来た多くの人が波にのまれたのだそう。
海も見えない、潮風も感じない場所で、誰がここまで波が来ると思うだろう。
ここまで波が来たと思うと、その場にいることも少し怖かった。
余震が続く中、ここで暮らしていた方たちは、不安な気持ちのまま後片付けに追われていた。

お家の前は、どこから運ばれて来たのか、大木や、家の骨組みの柱、
家の中から流れ出た、洋服や靴、毛布や、茶碗などであふれている。
本当に普通の生活の中で使われているものばかり。
泥をかぶり、海水でやられた電化製品もたくさん転がっている。
玄関の前には水に浸かったアルバムの写真が干されていた。
泥まみれで、もう捨てるしかないみたなものも、本人にとっては宝物かもしれない。
ひとつひとつ拾い上げ、依頼されたお家のお母さんに確認していく。
広くて立派なお家も、修復に1000万円かかるというので、取り壊してしまうそう。
「おじいさんが建てた家を壊すなんて言ったら、悲しむだろうね」と、
お母さんは残念そうに、少し笑みを浮かべてつぶやいた。

4月でも、すでに気温は高く、粉塵マスクをしていて息苦しいせいもあり、汗だく。
大量に水分補給しても、全部汗で流れ出てしまうせいか、トイレにも行きたくならなかった。
これから、どんどん気温があがり、衛生面もそうだし、
熱中症対策も万全にしなくちゃいけない。
ここからもっと、大変な作業になりそうだと感じた。

至る所にある、釘が出た木材やガラスに注意しながら、一輪車にがれきを乗せ、
道路の脇まで運んで、積み重ねていく。
ここ亘理町では、自衛隊の協力で、がれきの撤去作業を実施するそう。
そこで、がれきや家の前に、意思表示を示す旗を掲げてもらっている。

「赤」は家屋もがれきも一緒に撤去。
「黄」は家屋は残し、宅地内のがれきのみ撤去。
「緑」は自宅も宅地内のがれきも、そのままで良い。

この付近では、ほとんど、黄色い旗が揚げられていた。

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山積みだったがれきが少しずつ撤去されていくと、立派なお庭があらわれてくる。
「あぁ!庭らしくなってきたぁ」
と、お母さんが喜ぶ。
庭の植物は、すべて海水に浸かり塩で枯れてしまった植物もあったけど、
お母さんが大事にしていた梅は、元気に咲いていた。
「梅、咲いてるの?」
「はい!咲いてますよ!!」
と言ったときのお母さんのうれしそうな顔が忘れなれない。
小さな希望の花。

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7人がかりで、一日中やっても、まだまだ全然片付いていないし、
お家の方たちだけで作業をするのはとても大変な状況なのに、
「もっと大変な人たちがいるから、後は自分たちでやります」と、
他の方を思いやり、翌日の継続作業を遠慮するお母さん。
お母さんは津波で旦那さんを亡くされていた。

その日の作業が終わると、何度も何度も
「ありがとうね、本当にありがとうございます」と言って頭を下げていた。

「笑顔が見たい」「少しでもお手伝いしたい」と思って行ったけど、
感謝されたかったからボランティアに来た訳じゃないし、
誰かに「立派だね」って言ってほしかった訳じゃない。
それなのに、お母さんはボランティアの私たちを気遣って、
休憩の時にはお茶を出してくれたり、お菓子を用意してくれたり。

帰りの車の中、涙が止まらなかった。
「ありがとう」の言葉が重かった。
「ありがとう」をもらえる程、役にも立てていないし、何かできたわけじゃない。
自分のがんばりなんて、がんばりのうちにも入らないし、
そんなお母さんたちに、「がんばってね」って言われたら、
もう、返す言葉がない。がんばるしかない。

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作業2日目にお手伝いさせてもらったお宅は、
床上浸水していたため、畳をはがし、その下の板をはがし、
家の基礎部分に流れ込んだ大量の泥をかき出す作業。
家の下に潜り込み、頭に付けたライトで手元を照らしながら、
粘土のようにまだ生乾きの泥をバケツに入れ、撤去する。
写真はお家の裏のお庭の泥かき。
油や塩、水を含んだ泥は重く、本当に厄介だ。
お母さんは少し足が悪く、片付けをするのを見守っていたけど、
庭に積み上げられていた泥がなくなって、喜んでいた。

お隣のお家のお母さんも私たちの様子を見て、
「まぁ、女の子なのに、大丈夫?わざわざ、ありがとうね。」と、
泥まみれになった私の肩をさすってくれた。
泥まみれじゃなかったら、お母さんとハグしたかった。
お母さんこそ、大変なのに。

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様子を見に来た、お隣のお母さんのお宅のわんちゃん。
写真では伝わらないけど、おっきなわんちゃん。
津波の時は、一緒に逃げることができなかったらしいんだけど、
避難して3日後に家に戻ってくると、生きていた。
首輪につながれていたため津波が来たときも逃げることは出来ない。
冷たい水の中、寒くて食べ物もなくて、つらかっただろう。
怖かったね、よく耐えたね、がんばったね。
災害時、ペットをどうしてやるのが一番いいのかも、とても難しい問題だと思った。
もっと水位が高かったら・・・。
つながれていたから、波に流されずにすんだのかもしれないし、
つながれていなかったら、もっと安全な場所に行けたのかはわからないけど、
とにかく、生きててよかった。

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最終日は、物資の仕分け作業。
いまだ物資が届かない、食べるものがない避難所もあれば、
ボランティアの人たちの分まで差し入れできる程、余裕がある場所もある。

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3枚組や2枚組になっている靴下を、一つ一つ切り離す作業。
一人一足ずつ配布する予定なのだそう。
段ボールに、男性用と女性用が混合していたり、片方しかなかったり、
数がわからなかったり、シミで汚れているものもある。
仕分け作業をしている間にも、個人からの支援物資が続々と届き、
段ボールの中をあけて、ボランティアの人たちが途方に暮れる。
靴や服、粉ミルク、絵本、石けんなどなど、
いろんなものが、少量ずつ、ばらばらに入っている段ボールも届く。
新品のものもあれば、とても使える状態ではない中古のものもある。
それを仕分けしていく作業が、とても地味なんだけど、ものすごく時間をとられる。
誰かのあたたかい善意や、何かの足しになればという気持ちもすごくわかる。
でも、それが、実際は多くの悩みを生み出している。
消費期限が切れているものや、ばらばらになっているお菓子などは、
消費期限が記載されていないため、提供することができないという話も聞いた。
企業さんとかがまとめて、何かを送るのはいいと思うけど、
避難所によっては、数が必要な場合もあるため、個人で物資を送るのは難しいと思った。
だったら、その送料を募金に当てた方が、現地の負担も軽減されると思った。
きっと何かの役にたつだろう、何かに役立ててほしいと、
漠然とした自分の善意だけで行動するのではなく、実際にそれを受け取った人のことや、
受け取った後のことを考えられる余裕があるといいなと、やってみてすごく感じた。
とはいえ、いろんな方の善意で届いた救援物資で実際に助かっている人もいると思う。
何が正しくて、何が間違っているのかは、まだまだわからないのも現状だ。

必要なものや、量が毎日変わっていく現地では、
お金があれば、必要な物資を買い足すことができる。
あくまでもこれは亘理町でのことですが。


東京を出る前、現地で食料や水などを買うのは、現地の人たちの物資を奪ってしまうと思い、
たくさん持参して行ったけど、実際は現地のスーパーも営業を再開しているし、
むしろ東京よりもずっと商品が充実している。
ボランティアセンターの後ろにあった回転寿司も私たちが行った時に、
ちょうど一ヶ月ぶりの営業再開。
ということで、最近回転寿司にハマってる私と、ボランティアに一緒に行った4人、
そして、ボランティア作業で出逢ったリーダーの鈴木さんと、回転寿司にも。
限られたものだけなのかと思ったら、ネタも豊富で、おいしい!
お客さんもたくさん入っていた。
お寿司を握る板前さんたちも、なんだかうきうきしているみたい。笑顔が絶えない。
そんな光景を見て、すごく安心した。
営業することで、地元を元気にできる、消費することで、現地を元気にできる。

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災害ボランティアに参加するのは難しいことじゃない。
時間がある人なら、誰にでもできる。
現地の人の話を聞くだけでも、ボランティアになると言っていました。
一度やれば流れもわかるし、小さい力かもしれないけど、
復興の第一歩となる、片付けのお手伝いもできる。
現地のニーズがある限り、私も参加したいと思う。

道ですれ違うとき、笑顔であいさつをしてくれる亘理町の人々。
関わった人たちのあたたかさ。
亘理町という場所さえ、今まで知らなかったけど、大好きな町になった。
今回私が得たもの。
だから、心の底からの笑顔をいつか見たい。

一緒に参加した中野ボランティアセンターチーム!!
そして作業で出逢ったボランティアの人たち。
いい仲間と出会えたことも、新しい宝物。
原発事故を受けて、私がいきつけにしている回転寿司で働いている中国人の方々も
みんな母国へ帰ってしまい、大好きなイカ天寿司を作れる人がいなくなった。
そんな中、参加していた、
中国人のイエンさんを見たときには、それだけで胸が熱くなった。

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亘理町ボランティアセンター前の桜も咲いた。
着いたときには蕾だった桜が、帰る頃には満開だった。

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私たちがお手伝いできたのは、ほんの少し、決められた時間だけ。
それで、お手伝いした気になって、終わらせたらだめだと思った。
これから、この地に暮らす人たちは、片付けや日々の暮らし、あの日のこと、
大切な人を亡くした痛み、いろんな悲しみや、これからのことと、
ずっと向き合っていかなくちゃいけない。
それを思うと、なんて声をかけていいのかわからないけど、
私は、自分のできることをやるしかない。続けていく。

時間がある人は、汗をかこう!
被災地じゃなくても、
今ここでも出来ることはある!
必ずあるから。


<写真に関して補足>
掲載している写真に関してmixiでコメントがあったのであえて書きますが・・・
中野区ボランティアセンターの報告資料用としてや、
今後活動されるボランティアさんに向けて、
どういう場所でどういう作業をどういう格好でやればいいか、
参考になるような写真を撮ってほしいという話があり、
スタッフが撮影したものが主な掲載写真です。
もちろん作業中の写真は住人の方に使用目的を伝え許可も頂き、
スタッフが休憩に入る少し前に作業をやめ撮ったものだったりします。
はっきり言って、作業現場は、写真を撮る雰囲気ではありません。
みんながお手伝いに全力を注いでいるし、撮られる人の気持ちもわかるから。
だから現場に誰もカメラを持ってきたりしない。
一緒に参加した中国人の方は、カメラを持っていましたが、
それは、同じ中国の方に伝えるためでした。
私は、毎日伝えられる悲しいニュースの中で、少しでも現地の希望を伝えたいと思い、
そこに咲く花や生きる希望をくれるものを撮影しました。
感じ方は人それぞれ違うので、こちらの想いを伝えるって難しいですが、
現地に行かないとわからないこともあります。
また、私やメンバーがとっているのは、
「やった~!」とかの意味のガッツポーズではありません。
ボランティアに参加されている方、みんなそうだと思うんですが、
「一緒に支えていくよ!」という想いと、「元気を出してほしい!」
という願いが込められています。

ボランティアには日が当たりません。でも、やるんです。
賞賛が欲しいわけではなく、
ただただ少しでも住人の方に笑顔が戻ればればなによりと思い、活動します。
ブログに書く必要もなかったのですが、
これを見てもらうことで、この話を聞いてもらうことで、
被災地の応援になればと思って書きました。