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06月02日
今、想う。

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先日、過去の歌詞ノートを探していたら、
中学時代に使っていたノートが見つかった。

中をのぞくと、それは文通記録ノートだった。
私は中学生の頃、神津島というとても小さな限られた世界で生きていた。
もっと外の世界を知りたい、もっと知らない人に出会いたい!
そんな想いで、当時よく読んでいた雑誌に、文通友達募集!と投稿した。
ふたをあけてみたら、全国各地からたくさんの手紙が届いたので、
うれしくて、25人くらいの同じ世代の女の子と文通することにした。

25人・・・。

同じクラスメイトだって、25人くらいだったので、
とても覚えきれない!誰に、どんなことを書いたのか、
わからなくなってしまう!と思って、
それぞれの住所や名前やどんなことを書いたのかをメモした、
文通記録ノートをつけていたのだ。

鹿児島、熊本、大阪、福島、山形、秋田・・・。
本当にたくさんの住所の中で、驚きの住所を見つけた。

“宮城県亘理郡亘理町”

「えーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!」

鳥肌とともに、叫んでいた。
宮城県亘理町と言えば、昨年の東日本大震災で、
私が災害ボランティアとして泥かきに行っていた場所。
亘理(わたり)という読み方さえ知らず、
もちろん、知り合いも一人もいないと思っていた。
ボランティアを通じて、たくさんの亘理の方と出会い、
今では家族のようなつきあいがある方がたくさんいる。
そんな亘理町と、実は17年も前から繋がりがあったことに、
運命の赤い糸のようなものを感じた。

それまで、まったく覚えてもいなかったのに、
住所を見て急に、彼女の安否が気になった。
グーグルアースで、彼女の家を探していた。
当時彼女が住んでいた住所には、確かに家があった、
けれど、そこに映っていたのは、家の基礎だけが残った画像だった。

彼女は無事なのか。
亘理町の知り合いの方に、彼女のこと、知りませんか?と訪ねた。
すると、知り合いの方のお孫さんじゃないか?ということが判明。
翌日、私が探していると会いに行ってくださったそう。
そう、彼女は無事だった。
実家は津波で流されてしまったけれど、家族はみんな無事だったそう。
ものすごく、長くてうれしいため息が出た。

私は教えてもらった連絡先に、電話をした。
会ったことも声も聞いたこともない、覚えてくれているかもわからない彼女に。
彼女もずっと昔のことで、あまり覚えていなかったみたいだけど、
探してくれてうれしいと、とても喜んでくれた。
そして、私たちは17年ぶりに繋がった。
17年ぶりに、彼女に手紙を書いた。

こんなことって、あるんだ。

でも、それは私が亘理町を知り、
亘理の人たちとつながることができていたから、
“亘理町”という住所に目がいって、
今、どうしているのだろうと、行動に移せたんだと思う。

注目すること、気にしていると気づけることがたくさんある。

そして、その町に、思い浮かべられる人がいるということはとても大きい。

今日は、そんな亘理町へとつなげてくれた、出会わせてくれた、
中野区の社会福祉協議会でのイベント。
『〜あれから1年〜被災地からのメッセージ』
中野区が募集していた災害ボランティアに参加していなかったら、
私はたぶん、被災地と呼ばれる場所と深くつながることができなかったかもしれない。

震災から1年以上が経過しても、まだそこで暮らす人たちのことを
想えるのは、リアルに想像できる大切な人がたくさんできたから。

今日また、たくさんの人とつながった。
森元修一監督の震災ドキュメンタリー映画「大津波のあとに」を見て、
また、あの日に引き戻され、ニュースでは流れない、人々の想いに触れた。

石巻市立門脇小学校の前校長先生の鈴木洋子さんの、
リアルな体験を言葉や表情からたくさん感じた。

現地の人に出会うと、その人を思い出すことができる。
だから、次に石巻と聞いたら、鈴木さんのことを思い出すと思う。

亘理町で、「何かほしいものとか、困ってることとかありますか?」
と、訪ねたことがある。
返ってきた返事は、こう。

「こうやってまた、会いに来てくれることが一番うれしい」

「想ってるよ、気にかけているよ、忘れていないよ」
私は、これからも伝え続けていきたいと思う。


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