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06月21日
もうひとりのお父さん

結婚してうれしかったこと、
それは、新しい家族ができたこと。

旦那さんの家族は、お父さんとお母さんとお姉ちゃんとおばあちゃん。
つまり、私にはもうひとりのお父さんとお母さんができ、
妹しかいなかった私に、お姉ちゃんができ、
すでに他界していなくなってしまったおばあちゃんが、新たにできたということ。
母の日や父の日や敬老の日に、何かプレゼントできる楽しみや、
誕生日をお祝いできる楽しみ、
一緒に食事したり、お話ししたり、どこかへ一緒に出かけたり・・・
いつもやさしく接してくれる人達が家族になる、
それは、とってもうれしいできごとでした。

今日は、新しくできた私のもうひとりのお父さんのお話。

旦那さんの家族とは、仕事の関係で、
以前から何度かお世話になっていて、
面識もあったし、お家へお邪魔することもありました。

お父さんは金沢の金箔を作る職人さん。
ギターを弾くのが好きで、
私に何度か「あれどうやって弾くの?」
と質問したり、私の歌に興味を持ってくれたり、
自慢のギターを見せてくれたりしたことも。
突然、旦那さんの小さい頃のアルバムを引っ張り出して来て、
「かわいいやろ」と、うれしそうに見せてくれたこともありました。

前回お会いした時には、
ドライブが趣味で、金沢の実家から、
北海道まで車で一人旅をしたと、写メを見せてくれて、
楽しそうに話しを聞かせてくれました。
私もドライブ大好きだし、旅も大好きだから、
いつかお父さんと一緒に旅に同行したいな、なんて思っていました。

でも、残念ならがら、
そんなささやかな私の楽しみが叶う日はもうやってくることはありません。

今年、4月、もうひとりのお父さんは亡くなりました。
59歳でした。

世界一周の旅を終え、日本に帰国したとき、
結婚のご挨拶に伺ったとき。
久しぶりに見たお父さんは、少し痩せたような、
ちょっと元気がない感じがしたけど、
きっと久しぶりにお会いしたからだと思いました。
でも、この時たぶんすでに、お父さんは病魔に冒されていたんだと思います。

もう一度アメリカへ渡り、日本へ帰って来た11月下旬。
もうひとりのお母さんから旦那さんに電話がかかってきました。
お父さんが突然、手の麻痺を訴え、
言葉がうまく話せなくなり、病院に行くと脳腫瘍が見つかったのだそうです。
同時に、肺がんにも冒されていることがわかりました。

幸いなことに、金沢に最新の技術を扱う腕のいい脳外科があり、
お父さんの脳腫瘍は手術なしで、消し去ることができました。
手の麻痺が消え、言葉も問題なく話せるようになり、
回復に向かっていました。
みんな本当に一安心。

私の亡くなったおばあちゃんは、アルツハイマーを発症していました。
小さい頃から「なーつ、なーつ」と、散々私の名前を呼んでいたのに、
私の名前も呼べなくなったし、私だとわからなかったかもしれない。
生きているのに、大切な人に認識してもらえない切なさ、
生きているのに、大切な人を認識できない切なさは、
本当につらい体験だったし、おばあちゃんもつらかったと思う。
だから、お父さんの意識や記憶がしっかりしていること、
思ったことをちゃんと伝えられることに、みんなすごく喜びました。

でも、もっと大きな問題は、肺がんの方でした。
実際、脳腫瘍も肺がんからの影響だったと聞きました。

私の身内にも、知り合いにも、癌と闘った人がたくさんいます。
手術をして良くなった人もいたけど、
残念ながら、そのほとんどの大切な人が亡くなってしまいました。
あんなに元気だったのに、痩せて、歩けなくなって、
癌はとても身近な病気、とても恐ろしい病気と知っていたから、
お父さんが肺がんと知ったとき、とても怖かった。
でも、お見舞いに行ったとき、
元気そうなお父さんの姿を見て、これは、
助かるんじゃないかと本当に思いました。

でも、医師からは、ある程度の覚悟はしておいてくださいと言われていました。
家族の選択は、お父さんに宣告をしないこと。
お父さんは治る気でがんばって闘っていたし、
私たちも、そのお父さんの気持ちを尊重したかったし、
本当に助かると思ったし、
治ってほしいという希望を捨てたくなかった。

今年、3月22日、東京で2年ぶりのリサイタルをやることを決めていた私。
結婚式は挙げないと言う私たちだったけど、
お互いの家族の顔合わせ会は開きたいと提案していました。
そこで、リサイタルにお互いの家族を招待して、
翌日にでもみんなで記念撮影でもと考えていました。
もうひとりのお父さんは、癌を治して、リサイタルへ来てくれるつもりで、
闘ってくれていました。
でも、その頃、お父さんの体調が悪くなり、
東京へ出て来ることが、難しくなりました。

お父さんはとても楽しみにしていてくれたみたいで、
後日旦那さんがお見舞いに行ったときに、
リサイタルの動画を見て喜んでくれていたそう。
うれしかったな。

リサイタルは難しかったので、私の誕生日の前日4月27日、
個展開催に合わせて、みんなでパーティをしようということに。

その間に、一度お見舞いに行きました。
お父さんはとても元気そうで、
私が今まで見てきたのとは全然違って、痩せてないし、
寝たきりじゃないし、自分で歩けるし、話もできるし、一時帰宅もできた。
ちょっと息苦しそうっていうくらいで、
ご飯もしっかり食べていたし、
安心するくらい、大丈夫だと感じました。
その時、お父さんが私たちに向かって話してくれたこと。
「本当に、お母さんには頭が下がる。あの人おらんかったら、
 なんにもできんもん。お前もお嫁さん、大事にしたってよ」

それが、最後に会ったお父さん。

お父さんはその数週間後に息を引き取りました。
看病を続けるお母さんと、お姉ちゃんに見守られて、静かに眠りました。
私たちは知らせて受けて、家を飛び出したけど、間に合いませんでした。

せっかくもうひとりお父さんができたのに。
なんにもできないまま、
なんにも力になれないまま、お父さんは旅立ってしまった。

お父さんがいない家族顔合わせ会の時、
お母さんが、言っていました。
「本人も、治る気でおって、この日のために、
 服やらなにやら新しく買っていて、
 行く気まんまんだったんですけどね」
胸がぐっと締め付けられて、泣きそうになった。
お父さん。
もっといろいろ話してみたかったな。
まさか、こんなに早くお父さんを亡くすなんて、
本当に本当に残念でした。

でも、旦那さんも、お母さんもお姉ちゃんも言っていたけど、
お父さん、最後まで意識がはっきりあってよかった。
最後まで、お父さんがお父さんのままでいられたことは、
本当によかったと私も思います。

お父さんのお葬式には、家族もびっくりするくらい、
たくさんの人が参列し、その人達からの言葉から、
お父さんがたくさんの人に慕われていたことがよくわかりました。
大切な旦那さんを失う悲しみ、大切なお父さんを失う悲しみ、
大切な息子を失う悲しみ、大切な友達を失う悲しみ、
大切な仕事仲間を失う悲しみ、それぞれの悲しみ。

実は、旦那さん曰く、
お父さんとはそんなに仲がいい方ではなかったと言っていたけど、
お父さんが病気になって、一気に家族の仲が深まったみたい。
家族がもっと深く繋がれて、お父さんもうれしかったと思う。
お父さんの病気がわかったとき、
「タバコ吸ってたんだから、自業自得、しかたないでしょ」
なんて、びっくりするくらい冷静につぶやいていた旦那さんが、
お葬式で見せた涙は、父親を失う悲しみというより、
もっとやりたことも行きたい場所もあったのに、
仕事だけを一生懸命やり続けて、
人生をこんなにも早く終えてしまうお父さんの無念さを想っての
涙なのかなと感じました。
何をして生きるのか、
誰と共に生きるのか、
どう生きていくのか、
突然のお父さんの死から、改めて考えさせられました。

そんなお父さんが残したもの。
先日、四十九日が終わり、納骨の時、
おばあちゃんが、涙ながらに話してくれました。
母の日に、息子からお花が届いたと。
闘病中、お父さんが事前に注文していたんだそう。
天国からの、カーネーション。
お父さん、やさしいね。

今日は、父の日。
お父さんが生きていたらな。
私の大好きな「ひまわり」の花をお供えに贈りました。
今日はお父さんが好きだった、
チューリップの「ぼくがつくった愛のうた〜いとしのEmily〜」を聴こう。

お父さんの命が消えてしまっても、
お父さんが私の新しいもうひとりのお父さんだってことはずっと変わらない。
お父さんの分も、新しい家族を大事に想いながら、
私の実の父ちゃんと母ちゃんも大事にしていこう。