メイン

PROFILE

ishinoda2012f_HP.jpg

石野田奈津代(いしのだなつよ)
シンガーソングライター 東京都・神津島出身 1980年4月28日生まれ

1980年、東京都にある人口2000人ほどの島・神津島に生まれる。
小・中学校時代、いじめにあい、いじめっ子を見返すため、歌手になろうと決意する。
高校入学と同時に、島を離れ、東京本土に上京。
高校生になり、ギターを始める。人生最大のショックを受けたという「浮気=失恋」により、
抑えきれない想いをぶつけるために、自ら本格的に作詞作曲を始める。
その後、メジャーデビューすることを夢見て、制服姿で路上ライブを始める。
口コミで観客が増え、現役女子高生ストリートシンガーソングライターとして注目を集める。
同時期に、インディーズ映画「だれも知らない夏の空」の主演に抜擢。

1999年、石野田奈津代が高校卒業目前の18歳の時、
[いしのだなつよ/アルバム「ひまわり」]でメジャーデビューを果たす。
ニッポン放送「オールナイトニッポンR」のパーソナリティに起用される。
しかし、メジャーデビューが夢だった石野田は、夢を無くしてしまう。
1枚のアルバムと4枚のシングルをリリース。
数々のテレビ番組のテーマソング、多数のラジオ局のパワープレイに選ばれるが、
セールスは思うように伸びず、約2年間の活動を経て、
石野田が20歳の時にレコード会社・所属事務所との契約は打ち切られた。

その後、郷ひろみ、長山洋子の作詞を手がけるなどの活動を経て、
中村一義のバンド『100s』のメンバー、
町田昌弘(ギター)、玉田豊夢(ドラム)、山口寛雄(ベース)とバンド[kicca]を結成。
インディーズデビューするもバンドの音楽性に悩む日々が始まる。
ついには「なにを歌っていいかわからない」と作詞作曲が出来なくなり、バンドは自然消滅。

2005年、『自分の歌いたい歌をうたおう!』ともう一度、一人で音楽を始めるため再始動。
メジャー時代の[いしのだなつよ]から漢字の[石野田奈津代]に名前を改める。
その頃、出逢った一人のスタッフとともに、自身の自主レーベル《SONGLiFE》を設立。
CD制作、ライブブッキング、ラジオなどのプロモーション、HP運営、通販業務、デザイン、
活動すべてに関わる作業を、手探りながら自らで行うようになる。

「反響がない=売れない」場合は、音楽を辞める決意をし、なけなしの全財産をつぎ込み、
2007年、8年ぶりのソロアルバム「わたしのうた」をインディーズでリリース。
一人でも多くの人に歌を届けるため、8年ぶりとなる路上ライブを再開。
精力的に全国を回りラジオプロモーションなども行った。
そして地道な活動を続けた石野田の音楽は、徐々に人の「心」に響き始めていく。

2009年、デビューから10年、シングル「春空 -ハルソラ-」で、メジャー再デビュー。
インディーズ時代にもリリースしていたこの曲は、
日本テレビ「誰も知らない泣ける歌」で笑福亭鶴瓶氏の泣ける歌として紹介された他、
フジテレビ「めざましテレビ」/TBS「ひるおび!」/MBS「ちちんぷいぷい」など、
様々なメディアで『泣かせるシンガーソングライター』として取り上げられ、
「あきらめないことの大切さを知った」「生きる勇気をもらった」など多くの反響を呼んだ。
そして2010年、制約の多いメジャーを自ら離れ、新たな道へ・・・
最新シングル「はななり」は、オリコン インディーズチャート4位にランクイン。

現在、奄美大島の宇検村の観光大使、伊豆急行のオモシロ駅長としても活動中。
その他、熊本日日新聞で掲載されている「くまモン」の四コマまんがの原作を担当。
回転寿司マニアとして日本テレビ「ヒルナンデス!」に出演するなどの活動も。

*通常のライブ活動の他に、様々な場所で音楽を届ける“シチュエーションライブ”を企画。
 自身の曲に合った場所にこだわり、星空コンサート、サンセットビーチ、プラネタリウム、
 学校の教室、銭湯、結婚式披露宴などでライブを開催している。
*文化庁・文科省からの依頼で、全国各地の小学校・中学校・高校へ。
 講師となり、生徒と歌作り行うなどの活動も行っている。


【contact】
お問い合わせはこちらへ。
*メールを送る際は、以下の項目を必ずご記入ください。
・お名前(ふりがな)
・ご連絡先(電話番号、メールアドレス)
・お問い合わせ内容