東北縦断三人旅〜岩手県大槌町〜
5月、宮城県亘理町での2週間の災害ボランティア活動をしていたのをきっかけに、
声優の山寺宏一さんと、シンガーソングライターの坂本サトルさんが、
被災地をまわるライブに誘ってくれた。
宮城県出身の山寺宏一さんと、青森県出身の坂本サトルさんが発起人となり、
4月に行われた復興支援ライブ「日、出づるところへ」。
多くの復興支援のイベントが行われる中、このイベントは他のものとは少し違っていた。
義援金が少しでも多く集まれば、被災された人たちの役に立ち、
復興への大きな一歩になると思う。
だけど、せっかく集まった義援金も、未だに大部分が使われていないのが現状。
「日出づるところへ」は募金を募り、それを大きな所に寄付して完結というものではなく、
被災地を回り、そこで本当に必要なものを届けたり、
復興に必要なもののために、支援金は使われている。
「日、出づるところへ」は、現在進行形。
6月4日。
岩手県盛岡で山寺宏一さんと、坂本サトルさん(以下、さかもっちゃん)と一緒に、
車で山を越え、向かったのは、岩手県大槌町。
途中、トイレ休憩で立ち寄った遠野の眼鏡橋は、美しくてみとれた。
釜石線が上を走って行って、今日はいいことがあるなー!
なんて、みんなで喜んだ。
大槌町に近づいていくと、だんだんのどかだった風景から、
いろんなものや、瓦礫が散乱していくようになっていく。
ここまで津波が来たというしるしはすぐにわかる。
大槌町は津波の後、火災があり、山にも飛び火したらしい。
津波によって破壊された町は、家らしきものはほとんど残っていなかった。
本当に、ここは町だったのか、想像するのが難しいくらい。
わずかに残った鉄筋の建物すら、火災によって焦げた後が残り、まるで戦場のようだった。
3階建くらいの高さの瓦礫の山が、いろいろな場所に集められていたり、
至る所に、だめになってしまった車が集められていた。
いつも通り生活していたところに、津波が来た。
これに、人が乗っていたかと想像すると、胸が痛くて深いため息しか出なかった。
車の中で亡くなった方も大勢いただろう。
岩手県大槌町は、
津波の被害で、町がほとんどが水没し、壊滅したという。
私の出身地・神津島の役場の方も、この町に支援に来ているという、
わずかな繋がりがある町。
震災がある前は、知らなかった町。
会場となった大槌中学校のすぐそばを流れる大槌川の水は澄んでいてきれいだけど、
よく見ると川底には瓦礫のようなものが散らばっていた。
河川敷には、5ミリほどの厚さの泥が干からびて割れていた。
たぶん、ここにもたくさんの瓦礫があったにちがいないけど、
きれいに片付けられていた。
川にはうみねこが飛んでいる。
あたりは魚が腐ったような臭いが漂っていた。
この日は、大槌町を再興するためのお祭り。
「やっぺし!大槌再興祭り」
3人で盛り上げよう!と、さっそく、河川敷でリハーサル。
(写真の左のほうにいるかたまりが私たち♪)
急遽考えたユニット名は、
「山ちゃん、サトちゃん、なっちゃん」
名前の順番は、何でもありで、紹介するたび変わる(笑)
会場には、たくさんの出店が出ていて、人もたくさんいる。
そこだけ見たら、どこかの夏のお祭りに来たみたいに錯覚するほど、
みんな笑顔で楽しんでいる様に見えた。
ライブ中、じっと私を見つめて聴いている若い女の子達。
うなずきながら聴いてくれているお母さんたち。
何を思うんだろう、どんな想いで暮らしているんだろう、
私の歌が聞こえている間は、
いろんなことを思い出さなくていい時間になってくれればいいなって思った。
山寺さんが今まで担当してきたアニメのキャラの声を出すたび、
子供も大人も笑って、
さかもっちゃんが歌うたび、みんな真剣に聞き入って、
私は、それをずっと見てた。
私はね、人のライブやステージで客席からお客さんを見るのが好きなんだ。
うっとりしたり、涙したり、わ〜ってきらきら目を輝かせたり、前しか見えてなかったり、
顔いっぱいくしゃくしゃの笑顔のお客さん。
そんな横顔を見て、幸せな気持ちになる。
印象に残ったのは、40代くらいの地元バンドの方の言葉。
「地震が来て、津波が来て、火事がおきて、泣きたかった。
でも、この町は、俺たちで絶対に復興するんだ」
震えるような声。瞳の奥にいろんな想いと、強い意志が写って見えた。
帰る前に、ガソリンスタンドへ寄った。
津波の爪痕が残る場所で、本当に営業してるのかな??と
思うような場所で営業していた。
6月1日から有料にし、営業を再開したというけど、
それまでは、町の人たちに無料で配給していたという。
「中古の機械を入れて再開したんです」とスタンドの方が笑顔で答えてくれた。
スタンドの屋根もすっぽり浸かる程、津波が来たという。
大槌町では、10人に1人が亡くなっている。
ここでたまたま出会った漁師さんも、妹さんを亡くされていた。
津波があったときは、漁で船を沖に出していたため、助かったけど、
急いで港に戻り、飛び降りて家族を探したという。
船は無事だったけれど、漁港も壊滅。
捕れた魚を運搬する車もみんな流されてしまい、
当分、漁もできないと言っていた。
ということは、仕事ができないということ。
さかもっちゃんが、「おしゃれな服、着てますねー」と言うと、
「これも支援物資でもらったんですよ〜」と笑って答えてくれた。
冬服はたくさんあるけど、大人も子供も夏服が足りないという話も聞いた。
今は、避難所で生活しているそう。
帰りがけにお店が営業しているのを見かけ、立ち寄ることに。
現地でお金を使うことも、大事な支援につながる。
このお店も、2階ぎりぎりまで波が押し寄せたという。
津波が来た瞬間を、お父さんは写真に残していた。
海なんて見えない場所で、まさか・・・と思ったそう。
「2階に避難したけど、もう少し遅かったら、今の俺はいない、
あなたたちとも会えなかったよ」
と、涙ながらに話してくれた。
3月11日のことを忘れないようにと、お店の一部はあえてその日のままにされていて、
時計は、津波が来た時間で止まったまま。壁には泥の跡。
こんな大変な状況の中でも、お店がやっていると、こっちも元気になる。
神藤商店の藤原さん夫妻。
新聞にも紹介され、それを読んだ方たちからも注文があったという。
私たちが購入した姫タケノコも、すごくおいしかった!
秋には、松茸が採れるよと、笑顔で教えてくれたので、また会いに行きたい。
前日は、FM岩手「Posh!」に生出演。
こんな形で、再会するなんて、思いもしなかったけれど、
加藤裕さんと2年ぶりに笑顔の再会。
生歌では、「春空-ハルソラ-」をギター弾き語り。
会場に来られない人にも届いてほしいと願いを込めて歌いました。
リクエストやメッセージ、全部読んだよ。ありがとう。
初日の夜は、宮城県にある山寺さんの実家に泊めていただきました。
お父さんもお母さんもとっても親切にしてくださって、
初対面なのに、実家に帰ってきたみたいな気持ちになった。
お母さんの手料理、最高においしかった!
次の日のお弁当まで持たせてくれました。
つづく。