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03月13日
2回目の3月11日。

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2013年3月11日。
東日本大震災から、2年。
私は、当時、災害ボランティアとして、
泥かきや、瓦礫となってしまったものを運び出すお手伝いをしていた、
宮城県亘理町(わたりちょう)へ向かいました。

特別な想いがあるこの日には、
現地の方と一緒に祈りを捧げたいと思い、
昨年同様、亘理町合同追悼式に行きました。

そこで、ずっと会いたかった子と再会することができました。

追悼式の目次、遺族代表の言葉の欄で見つけた、彼女の名前。
津波でお母さんとおばあちゃんを亡くした、望美ちゃん。

私が望美ちゃんと出会ったのは、
震災から4ヶ月後の7月のこと。
望美ちゃんが通っていた小学校や児童クラブが津波の被害に遭い、
中学校の部室を間借りする形で吉田児童クラブが再スタート。
その吉田児童クラブへ、ギターと風船を持って遊びに行った時のこと。
誰よりも元気で、誰よりも大声で笑って遊んでいた望美ちゃん。
一緒にギターを弾いて、遊びました。

私がみんなからサイン攻めにあっているとき、
先生が、「ランドセルに書いてもらってもいいんだよ?」
と言って、私は思わず、
「そんなことしたら、お母さんに怒られちゃうよーーー!」
と言ったんです。
そしたら、望美ちゃんがぽつんと、
「お母さん、いない」
と、言いました。

その時のブログ

あの時の声がずっとずっと、私の中にあって、
望美ちゃんの気持ちを思うと、本当にごめんなさいという気持ちで
いっぱいでした。

それでも、また遊ぼうねと、笑顔で言ってくれたあの日。
このノートは、その時、望美ちゃんたちが描いてくれたもの。
右上が望美ちゃんが描いてくれた、私の似顔絵。
ちゃんと漢字で奈津代さんって、書いてくれてある。

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追悼式では、
明るい声で、涙も流さず、お母さんにやさしく話しかけるように、
最後までやり遂げていて、その立派な姿は、参列した多くの人たちの涙を誘いました。
大きく成長した望美ちゃんを見て、私はまた感動しました。

いてもたってもいられなくて、献花をし終えた後、
望美ちゃんに声をかけました。

「覚えていないかも知れないけど、吉田児童クラブでね・・・」と続けると、
はっとびっくりした顔をして、
「覚えてます!」
と言ってくれた。
たった1日、数時間だったのに、
覚えてくれていたことが、とってもうれしかった。
あれから、天国のお母さんから届いた手紙や、安倍首相の所信表明演説などのニュースで、
望美ちゃんのことが取り上げられ、私もその後の望美ちゃんを知れたこと、
今日のスピーチに感激したこと、会いたかったことを伝えると、
照れくさそうな笑顔で、ありがとうございます。と言ってくれました。
これからも、みんなを幸せにするステキな笑顔でいてほしい。

望美ちゃんのことが掲載されているネットのニュース記事

津波の被害が大きかった宮城県亘理町の荒浜地区。
荒浜という地名は、仙台にもあって、そこもかなりの被害がありましたが、
私が行ったのは、仙台の荒浜ではなく、亘理町の荒浜地区です。

そこには、荒浜郵便局もありました。
今は、町の中央近くに移転して、仮設郵便局として活躍しています。
4月28日の私のコンサートチケットを、石野田商店で注文してくださった方に、
ここ、荒浜郵便局から発送しました。
郵便局には、風景印といって、その地の有名なもの風景が絵柄になった、
特別な消印があります。風景印を押してくださいと言わないと、
押してもらえないものなんですが・・・
亘理町は鮭とイクラの炊き込みごはん、「はらこめし」が有名で、
とくに、この荒浜のは格別!風景印も「はらこめし!?」
と聞きつけて、やってきました。
3月11日、復興に向けてがんばっている亘理町を少しでも知ってほしくて、
はらこめしを食べにきてほしくて、ここから発送しました☆
もう着いたかな〜?♪

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この日は、ボランティア仲間さんや、亘理で仲良くなった方のお宅に集まって、
みんなで、たくさん話しをしました。
泊めていただいた大坂さんの奥さんが、
亘理の春の名物、ほっき貝を使った「ほっきめし」を作ってくれていて、
みんなでおいしくいただきながら♪

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「3月11日、この日になるとさ、みんな騒ぎ出すけど、
 こっちにいる身としては、毎日がこうなんだよね」
と言う言葉がすごく印象的でした。確かに、被災地ではそれが日常。
「家も物もなくなったけどさ、こうやって繋がって、
 またみんなで集まって、話せて、今は幸せだよ。」
そう言ってくれたお母さんは、本当にやさしい顔をしていたけど、
でもやっぱり、一生懸命働いて稼いだお金で建てた立派な家を無くした
悔しさは、なかなか消えないと思う。
そんな気持ちがあっても、人にやさしくできるって、すごいなって思う。

大切な人を亡くした人たちは、もっともっと、
深い悲しみを背負っていると思う。

だから、私は、生きている今を、
自分の命を改めて大切にしようと思うし、
自分がしてもらったように、もっと人にやさしくできる人になりたい。

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翌日は、亘理のいいところ探し♪

いちご栽培が盛んで有名な亘理町は、
いちご農家さんのほとんどが、海沿いにあったため、
大きな被害を受けました。

私もボランティアでお手伝いさせてもらった、いちご園もありましたが、
まだまだたくさんのいちご農家さんがあります。

今回、おじゃましたのは、
「鈴木観光いちご園」http://www.s-strawberry.com/

若い夫婦がやっているいちご園です。
この鈴木観光いちご園もまた、津波で全て流れて、ゼロからスタートした農家さん。
このかわいい看板は、ボランティアさんが作ってくれたんですと、
かわいい奥さんが笑顔で教えてくれました。

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大切に育てられたいちごたちが、あたたかいハウスの中で、
キラキラ、かわいく色づいていました。
一粒いただいた味は、育てた人と同じで、
あったかくて甘くておいしい幸せの味。
いちご狩りなどもしているので、HPチェックしてみてください☆

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お花作りも盛んな亘理町。
追悼式の献花の白菊も、亘理町で栽培されたもの。

このお花農家さんは、カーネーションを作っていました。
太陽に向かって伸びるつぼみを見て、
「みんな正直だね」
と言っていたお母さん。
その笑顔も、けなげな花たちも、私をあったかくしてくれた。

ボランティアに行っていたとき、公園で出会い、私の歌を聴いて涙を流してくれた、
当時、81歳と91歳のおばあちゃん。
おばあちゃんたちもお家を津波で流され、今は親戚の家に住んでいます。
4月1日から亘理町の観光親善大使になるということを報告しに行ったら、
「すごいわね、よかったわね」と、ものすごく喜んでくれました。
もう実のおばあちゃんが亡くなっている私にとって、
おばあちゃんと話したり、喜んでもらえるのは、すごくうれしいし、
元気なおばあちゃんと再会できてよかった。

私が一番最初に亘理町で歌を歌うきっかけになった、
中央児童センター。
初めて声をかけさせてもらった、先生たちとも久しぶりの再会。
先生たちも、家を流され、中には仮設住宅で暮らしている方も。
それでも、いつも明るく元気な姿を見ると、
こっちが元気になっちゃう!
きっと、こういう人たちに、子供達も、お母さんたちも
たくさん助けられていると思う。
笑顔も元気も伝染するからね。
私も、笑顔で亘理町を応援していくぞーーーーっ!!!

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